【不安や劣等感を克服する】コンプレックスから逃げ続ける勇気

fuan

しばらくぶりに東京へ行くことになった。大学時代の旧友に会う都合がある。

彼女のお腹には今、赤ちゃんがいる。

送られて来た写真に写る彼女のお腹はぽっこりしていた。

妊娠の報告とぼく

彼女とは大学に入って知り合ったが、仲良くなったのは卒業後だった。ぼくも彼女も卒業後それぞれに苦しい思いを経験し、なんとなくシンパシーを感じて連絡を取り合うようになった。たまにお茶してなんでもない話をする普通の関係。

彼女は1年と少し前に結婚し関西を離れた。もともと多くはない友達が一人いなくなるのは結構寂しい。彼女は東京で働きながら家事もこなした。体力はあまりない方だから大変だったと思う。彼女が引っ越してからはずっと会ていなかった。

ひさびさに彼女から「妊娠したんだ。」とメッセージが来た。しばらくあとに送られて来た写真には、お腹がぽっこりと出た彼女が写っていた。

懐妊の報告はとても嬉しかった。でも同時に説明し難い複雑な感覚を感じた。なんとなく自分のコンプレックスというか、劣等感というか、うしろめたさというか、どれとも近いようで違うよくわからないモヤモヤした感情。その感情自体についてはよくわからなかった。けれどその原因というか根本は、「成長していく周りと、そうでない僕」ということに起因するような気がした。

成長していく周り。取り残された僕。

f:id:goldenvirginia:20181116004903j:plain

送られた写真に写る彼女。その姿はお腹だけぽっこりしていて、表情も服装も細身な体も僕の知っている彼女だった。でもなぜかぼくには以前の彼女とは全くの別人に見えた。

なぜそう見えたのか。それは彼女が結婚しこどもを授かり、着実に人生のステージを上っているように感じたからだと思う。秒針が進むように、否、ぼくの秒針だけ止まっていることを突きつけられたような、そんな気がしてしまった。正直にいうと、なんだか人生を順調に歩んでいるなと、意地悪な嫉妬をしたのかもしれない。

フェイスブックやインスタグラムで流れてくる友達皆、僕の目にはみんな人生を順調に歩んでいるように見えてしまう。仕事をこなし、家庭を持ち、休日を誰かと過ごし、こどもを授かる。仲が良かった友人の7、8割方はもう結婚しているのではないだろうか。そうでない友人もほとんど彼女や彼氏がいる。仕事があって相手がいて居場所があって。全部自分たちの手で築き上げてきた環境だ。

父親になるってどんな気持ちなんだろう。

家庭を持って暮らすことに憧れはある。けれどぼくにとってリアリティなんて皆無でこんなレベルの疑問が湧いてくる。そのくらい僕にとって「家庭」はいまのところ縁遠い事象だ。ぼくの劣等感的なものを差し引いたとしても、彼らは人生を歩んでいて立派な大人に、もしくはオッサンに近づいている。取り残されたような気がしてとてもとても寂しい。

ぼくはいまどこにいるんだろう?

大学を出て周りが就職して働き出した頃、ぼくは引きこもりになった。大学院を出てから少しして病んで家から外に出られなくなった。なんの代わり映えしない1日をたくさん過ごした。家族とはなるべく顔は合わさない。廊下はすり足で足音を消して歩く。夕方に起き、布団の中のままパソコンを眺める。みんな寝静まった頃深夜にやっと布団から出てきてYoutubeを見る。そんな生活を1年ちょっと続けた。

そんな経験をしてから、ぼくは「大人になること」や「家庭を持つこと」、「自立すること」に対して憧れや諦めを他人より強く持つようになった。引きこもり状態から抜け出し、なんとか一人で仕事するようにはなった今でも、そのあたりのコンプレックスは僕の心の真ん中に未だ鎮座している。

劣等感。大学時代には対等で純粋な関係だった友達。でも成長が止まったぼくと、みんなとの相対的な距離感がぼくの大人に対する憧れや嫉妬の気持ちを増幅させている気がしてならない。

逃げ続ける人生。それを肯定する勇気。

f:id:goldenvirginia:20181116005111j:plain

だからぼくはそこから逃げ続けることにした。

みんなと違う道を歩むのはしんどい。世の中で褒められるような、一流企業で働くこと、残業すること、出世すること、ボーナスをもらうこと、ローンで家を買うこと。すべてを諦める。みんなが良しとする、いや僕の頭の中で勝手に作り出した「良き大人像」からぼくは逃げ続ける。誰かと違う道を受け入れることでそんなぼくの大人へのコンプレックスから少し楽になれるような気がして。

コンプレックスから逃げ続けるのも悪くはない

大人から逃げ続けた先にはなにがあるのだろう?ぼくは「自由」を求めているのかもしれない。 ぼくのいう自由とは置かれている環境や経済力、周囲の評価によって自分の行動を妨げられないことだ。ぼくのコンプレックスつまり周りとの比較や評価、そこから逃げ続けることで自身の身を軽くしたいのかもしれない。引きこもりでも自由になれる。ぼくはそう信じたい。

これから

劣等感やコンプレックスの塊のぼくにも、最近好きな人ができた。

いずれ、ぼくも家庭を持ちたいし、こどもがほしい。仕事ももっと頑張りたい。緑のある家に住みたいし、休日は友達家族とワイワイやりたい。

ぼくは大人として生きている人たちに憧れるし、尊敬する。

でもぼく自身はこどものままでいい。

だって引きこもりだったから。

引きこもりのことでお悩みの方へ。なんでも相談ください。

LINEで送る
Pocket